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2007.11.24 Saturday ... - / -
ロリータ キルズ ゼム
(もう既に記憶は不確かなのだけれど)今年1月から読み始めていた『シンセミア』(阿部和重)を昨晩とうとう読み終えました。一見して『シンセミア』はエンターテイメント小説のような体裁をとり「読みやすい」のだけれども、やはり緻密な論理構成をもって物語を「語る」ということに対して意識的であり、現代日本文学(ってしらじらしい)の現状である「雰囲気だけで物語を語る」薄っぺらい物語への挑発というか、まあ自分でも何を言いたいのかわからないのですけれども、つまりはもう一度でも二度でも読まないことにはこの作品に対するきちんとした文章は書けないかな、と思うのですけれども、それでも無責任に言うのなら、畳み掛けるような怒涛の展開の後半はやはり一気に読ませるものがありました。これについては『映画覚書vol.1』の中原昌也との対談の中で興味深い言及があります。
中原 そういえば、でも、『ニッポニアニッポン』の後半は、ちょっと展開が早すぎる気がしました。
阿部 そうですか。でも、それはB級映画のノリということで(笑)。B級映画は展開が早い。僕は常に後半、急ぎすぎるっていう癖がありますね。
厳密に言うならこれは『シンセミア』ではなくて『ニッポニアニッポン』に関する言及なのですけれども、作者本人が「常に」後半急ぎすぎると語っているため、『シンセミア』でも当てはまると考えてもバチはあたらないでしょう。
ここでは「癖」と言われているけれども寧ろ敢えて展開を早めているのでは、と思うのですけれども、やはり邪推でしかなく、根拠にもならない根拠を挙げるならば『ミステリアスセッティング』を携帯の配信で読んだのですけれどもこれも後半の展開がありえないほどはやく、吟遊詩人がどうのこうの妹がどうのこうのとウダウダと続くストーリーがまさかこの方向に転がるとは、と驚かされたものです。
しかし私がいまぼんやりと感じるのは「語りの速度を途中で変える」ということはかなり(的確に使用されるのなら)効果的な語りの技法なのでは?ということです。映画で言うなら『動くな、死ね、甦れ!』(ヴィターリー・カネフスキー)やら『ミリオンダラー・ベイビー』(クリント・イーストウッド)やら、B級映画といえば『裸のキッス』(サミュエル・フラー)も強烈なストーリー展開だったような気がします。(ここにラース・フォン・トリアーの作品群も含むべきか?少し考えなければいけない気もする。)ただし語りの速度を途中で変えても「稚拙な語り」と読み取られないためには緻密な計算が必要な気がします。
そのうちこの「語りの速度」の問題に関しては実験してみたいと思います。(自分の中で。)
2007.05.25 Friday ... comments(0) / trackbacks(0)
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